言葉はどんな力にも負けない
最近Huluで見ているドラマがあります。
比嘉愛未・主演のスピーチライターの奮闘を描いた、
『本日は、お日柄もよく』というドラマです。ご存知でしょうか。
スピーチライターとは、演説をする本人に代わって、その原稿を執筆する人のことです。総理大臣や大統領、議員などの要人の演説のほかにも、冠婚葬祭のスピーチや行事における挨拶でも原稿執筆をすることがあるようです。
いままで見たのは第3話まで。全4話です。
作中でのスピーチライターは主に国会議員の原稿執筆をしています。
ドラマを見て、一流スピーチライター・久遠 久美(くおん くみ)と、その見習いで駆け出しのスピーチライター・二ノ宮こと葉のやり取りに感動するばかりでした。
■第2話
議員本人ではなく、スピーチライターが考えて原稿を書くなんておかしいということ葉。日本では当然のように上がるその疑問に対して、久遠 久美は次のように答えました。
サッチャー首相の「後戻りしたければすればいい。レディは後戻りしない」。JFKの「国家がなにをしてくれるかではない。自分が国家のためになにができるかだ」。
書いたのはスピーチライターだけど、まぎれもなく政治家たちの魂の叫びだった。その魂の叫びをすくい取るのが私たちの仕事。つまらない逃げ口上を吐くのは、血反吐を吐くほど頑張ってからにしなさい。
ライター、編集者もこれに似ている。同じといっても過言じゃない。
著者や取材相手に思いを寄せるだけじゃなく、その人とまったく気持ちを同じくする思いで文章を書く。その人になるつもりですべてを知る。そしてまさに、著者、取材対象者たちの魂の叫びを書き記していく。
書いているのは自分かもしれないが、まぎれもなく本人の魂の叫びだと言い切れるものを書く。単なる代弁ではない。どれほどにも心を合わせて書かなければ体現し得ない、本人の思いと言葉で書き綴ること。それをするのがライター、編集者だと、自分に言われているようだった。
■第3話
週刊誌の記者に根も葉もないウソのスキャンダル記事をばらまかれ、自分がスピーチライターとしてともに戦っている議員・今川厚志の足を引っぱっていると自己嫌悪に陥ったこと葉は、意気消沈した様相で久遠 久美のもとに来て次のように言います。
私、久美さんに会って思いました。「スピーチライターは、きっと世界を変えられる」って。でもそれは違った。
言葉に力があるから届くんじゃない。力がある人の言葉だから届くんです。
私なんて、無力そのものです。
そんな自暴自棄から本質を見誤り、失望に値する戯言を吐く こと葉 に向かって久遠 久美が痛烈に言い放つ。
出て行って。
どんなに未熟でも、どんなに実力不足でも、あなたは言葉の力を信じてる人間だと思ってた。私と同じで。
言葉の力を信じられないような人間とは一緒に戦えない。
私の前から消えて。
涙が出るほど痛烈な言葉だった。言葉の力を本気で信じている人間からしか発することのできない言葉。ただ書くのが好き、文章が好き、言葉が好きだけじゃなく、その力、本質を身で知り、その確信がある人だけが放てる言々句々。
「誰が言うのか」によってその言葉の影響力に差が出るのもたしか。だけどそれ以上に、心から取り出して思いを顕在化させたその言葉をもった人間がどう生きるか、何を為すか。
言葉は過去じゃなくその先にある。いまを変えるためにある。過去に執着せず、いまここからを見る。言葉は今にある。
言葉の力を本気で信じている人間だけが、言葉をつかって生きていける。言葉の力に確信がないなら、この世界を去れと、自分にそう言われたような場面。涙が出るほどの感動でした。
世界を変える確信がある。言葉は何よりも強いことを知ってる。
こと葉は、冷たく突き放された悲しさと自身の不甲斐なさから、一度事務所を飛び出してしまいますが、これまでの人生で幾たびも実感してきた言葉の力を思い出し、また新たな決意をして久遠の事務所に戻ってきます。「もう一度、一緒に戦わせてください」。そう言って頭を下げたこと葉に、久遠 久美が静かに言います。
言葉はどんな力にも負けない。
もしそれを否定したり、
汚(けが)すような人間がいたなら、
私は血の一滴が枯れるまで戦う。 ついて来れる?
こと葉は答えます。
はい。
言葉はどんな力にも負けない。
僕の人生はこれを自分の確かな実感としてつかむ戦いであり、
言葉の力で、世界を変える戦いです。
素敵なドラマに出会いました。
いまふたたび、「言葉の力を誰よりも信じる人であろう」と、そう思うのです。
ライター 金藤 良秀