新元号は「令和(れいわ)」
新元号が「令和」に決まりました。
ぼくも菅官房長官の発表を生中継で見ていました。
由来は万葉集の梅の花の詩三十二首の序文から引用したとのことです。
この由来を聞くまでは、「令」の字にはどうしても「決まりごと」や「ルール」といった意味合いが浮かぶので政治的統率や管理下で和平をつくるという一種の国家のプライドみたいなものを感じていました。
ですが、引用された万葉集の詩を調べて、安倍総理から込めた思いを聞くと第一印象よりもずっと暖かく、日本的で、あかるくすがすがしさも感じました。やっぱり意味や思いを言葉にするってたいせつだなぁと。
日本中がこの発表に注目しました。
こうして日本国内全体が一挙に同じことに注目できるのってなかなかありませんよね。紅白歌合戦やワールドカップ、オリンピックでも最近は若者をはじめ、人々の関心が散っています。すごくいいことだなぁと思いましたし、ぼくも1人の日本国民なんだっていうのをまざまざと感じました。
平成はのこり29日です。平成最後の挑戦として、こうして書いているブログやnoteに加えて、もっと自分にストイックになって有終の美を飾る。日本中で多くの人がそんな挑戦をしているのかもしれません。
新元号発表1時間15分前
なぜかいま丸2日間寝ていない。こうして言葉にするとなんだかかんたんになりすぎてくやしいけど、丸2日寝ていないのはたいへん。
なぜこんなことになっているかというのは、やらねばならないことがあって寝ずに作業をしていたら朝になって、翌朝も予定があって夕方まで外出していて、夜はまた作業をしていたからなんです。べつにむずかしいことはなにもないです。
2日目の朝はかなり眠かったのにいまは1周してよくわかりません。寝なくてもいける気がしています。このまま仙人になれる。知らんけど。
ともあれきょうは平成の次の新しい元号が菅官房長官から発表されるのですよ。11時ごろに。それをリアルタイムで見たいのですよ。いま9時45分。パンと牛乳で嘲笑にして、シャワーを浴びてゆっくり待とうと思います。
おやすみなさい
人生をブチ抜く方法
今日は箕輪編集室の定例会『秒速でブチ抜く方法』に行ってきました。
与沢さんの近著『ブチ抜く力』になぞらえてネーミングされたタイトルです。
かなり熱いイベントでした。
ぼくは大寝坊をかましたので会場滞在時間は15分。
しかし箕輪編集室のFacebookページで、限定公開LIVE配信がされていたので、それを見ながら向かい、ほぼ電車内で対談内容のメモをしまくっていました。
印象に残ったのは、与沢さんの一点突破の力。
「今月、生きられればいい」
「直近に命をかける」
「例外のルールをつくらない」
与沢さんは「上場企業の経営者ってかっこいい」という理由、ただその一点で企業をつくって上場をめざし、「お金を稼ぎたい」という理由、一点でとにかくお金を稼ぐことに全力を傾注しました。お金を稼ぐことが目的だったため、「それで何を買うか」には興味がありません。高級車などを購入したときは「手に入れた」ということよりも、「これだけのものを買えるだけの額を稼ぐ自分になっていること」に意味があると言います。
与沢さんの話は、お金を稼ぐことだけに留まる話じゃないと思うのです。
自分が「すごい」と思ったもの、「したい」と思ったこと、
そういうものに一点まっしぐらに向かっていく尊さとその実感を語っているのです。
昔、小学校の頃には「あなたの夢はなんですか?」という問いをよくされたと思います。
「大工さんになりたい」とか「囲碁のプロ棋士になりたい」とか「体操選手になりたい」とか。(ぜんぶぼくの幼少期の夢)
そんな夢を語るたびに親や先生は「きっとなれるよ!」と応援してくれた。そんな記憶がある人もいるのではないかと思います。
それが高校や大学にもなると、夢を語れば「う~んおまえなぁ」と、“ 現実 ” なるものを見るように諭す大人が多かったのではないでしょうか。
それはすべて叶い得るはずなのに。
まだぶつかってもいない困難のリスクを想定して、自分の本当にしたかったことを諦めた人も少なくないと思います。しかし「リスクをとれ」と与沢さんは語ります。
リスクをとらなければしたいことはできない。
聞いてみれば当たり前のように思えます。
自分のしたいことに挑戦すれば、周囲からの信用を失う “かも” しれない。財産をなくす “かも” しれない。だけど、むしろ挑まなければ夢の実現は「ある “かも” 」という可能性のかけらさえもなく、「あり得ない」のです。
したいことに全力で人生を投資できるかどうか。
与沢さんはそのスリルを全力で楽しんでいるように思います。
それが確固たる人生の芯をつくっています。
与沢さんに限らず、名を残すような活動をしている人たちはみなさんそうだと思います。
すごくありきたりな話をしてしまったかもしれませんが、
自分のしたいことで自分の人生をブチ抜く力が試される、そう思った講演会でした。
与沢さんの言葉は実感にあふれた体温のある言葉でした。
だからこれほど感じるものがあったのだと思います。
ライター 金藤 良秀
言葉はどんな力にも負けない
最近Huluで見ているドラマがあります。
比嘉愛未・主演のスピーチライターの奮闘を描いた、
『本日は、お日柄もよく』というドラマです。ご存知でしょうか。
スピーチライターとは、演説をする本人に代わって、その原稿を執筆する人のことです。総理大臣や大統領、議員などの要人の演説のほかにも、冠婚葬祭のスピーチや行事における挨拶でも原稿執筆をすることがあるようです。
いままで見たのは第3話まで。全4話です。
作中でのスピーチライターは主に国会議員の原稿執筆をしています。
ドラマを見て、一流スピーチライター・久遠 久美(くおん くみ)と、その見習いで駆け出しのスピーチライター・二ノ宮こと葉のやり取りに感動するばかりでした。
■第2話
議員本人ではなく、スピーチライターが考えて原稿を書くなんておかしいということ葉。日本では当然のように上がるその疑問に対して、久遠 久美は次のように答えました。
サッチャー首相の「後戻りしたければすればいい。レディは後戻りしない」。JFKの「国家がなにをしてくれるかではない。自分が国家のためになにができるかだ」。
書いたのはスピーチライターだけど、まぎれもなく政治家たちの魂の叫びだった。その魂の叫びをすくい取るのが私たちの仕事。つまらない逃げ口上を吐くのは、血反吐を吐くほど頑張ってからにしなさい。
ライター、編集者もこれに似ている。同じといっても過言じゃない。
著者や取材相手に思いを寄せるだけじゃなく、その人とまったく気持ちを同じくする思いで文章を書く。その人になるつもりですべてを知る。そしてまさに、著者、取材対象者たちの魂の叫びを書き記していく。
書いているのは自分かもしれないが、まぎれもなく本人の魂の叫びだと言い切れるものを書く。単なる代弁ではない。どれほどにも心を合わせて書かなければ体現し得ない、本人の思いと言葉で書き綴ること。それをするのがライター、編集者だと、自分に言われているようだった。
■第3話
週刊誌の記者に根も葉もないウソのスキャンダル記事をばらまかれ、自分がスピーチライターとしてともに戦っている議員・今川厚志の足を引っぱっていると自己嫌悪に陥ったこと葉は、意気消沈した様相で久遠 久美のもとに来て次のように言います。
私、久美さんに会って思いました。「スピーチライターは、きっと世界を変えられる」って。でもそれは違った。
言葉に力があるから届くんじゃない。力がある人の言葉だから届くんです。
私なんて、無力そのものです。
そんな自暴自棄から本質を見誤り、失望に値する戯言を吐く こと葉 に向かって久遠 久美が痛烈に言い放つ。
出て行って。
どんなに未熟でも、どんなに実力不足でも、あなたは言葉の力を信じてる人間だと思ってた。私と同じで。
言葉の力を信じられないような人間とは一緒に戦えない。
私の前から消えて。
涙が出るほど痛烈な言葉だった。言葉の力を本気で信じている人間からしか発することのできない言葉。ただ書くのが好き、文章が好き、言葉が好きだけじゃなく、その力、本質を身で知り、その確信がある人だけが放てる言々句々。
「誰が言うのか」によってその言葉の影響力に差が出るのもたしか。だけどそれ以上に、心から取り出して思いを顕在化させたその言葉をもった人間がどう生きるか、何を為すか。
言葉は過去じゃなくその先にある。いまを変えるためにある。過去に執着せず、いまここからを見る。言葉は今にある。
言葉の力を本気で信じている人間だけが、言葉をつかって生きていける。言葉の力に確信がないなら、この世界を去れと、自分にそう言われたような場面。涙が出るほどの感動でした。
世界を変える確信がある。言葉は何よりも強いことを知ってる。
こと葉は、冷たく突き放された悲しさと自身の不甲斐なさから、一度事務所を飛び出してしまいますが、これまでの人生で幾たびも実感してきた言葉の力を思い出し、また新たな決意をして久遠の事務所に戻ってきます。「もう一度、一緒に戦わせてください」。そう言って頭を下げたこと葉に、久遠 久美が静かに言います。
言葉はどんな力にも負けない。
もしそれを否定したり、
汚(けが)すような人間がいたなら、
私は血の一滴が枯れるまで戦う。 ついて来れる?
こと葉は答えます。
はい。
言葉はどんな力にも負けない。
僕の人生はこれを自分の確かな実感としてつかむ戦いであり、
言葉の力で、世界を変える戦いです。
素敵なドラマに出会いました。
いまふたたび、「言葉の力を誰よりも信じる人であろう」と、そう思うのです。
ライター 金藤 良秀
知る知る見知る
町を歩いていると、僕はなにも知らないと思えてくる。
世の中を見ていると、自分に辟易しそうになる。絶望のような感覚に陥る。
「この世界には、僕の知らないことが多すぎる」
そう思えてくるんです。
でも一生のうちに世のなかのすべてを知ることができない。
当たり前と思うかもしれないけど、そんな自分の小ささを感じることがある。
地球上に立っている、人間ひとり。
だからせめて身近なことくらいについては、知っていたいと思うんです。
このベンチは、あの陸橋は、誰がつくったのか。
何でできているのか。素材はどんな性質なのか。
この町はいつできたのか。この明かりはいつ誰が点検しているのか。
ふと思ってしまう。
知り切れないこともあるけれど、ぜんぶ知っていたい。
だから僕は学ぼうと思った。
学生時代は、経済学専攻だった。
社会人になってからは「素材」や「材料」に興味をもって物理学を学び始めた。
木とか鉄とか。僕がふだん浮かべる疑問を解消してくれると思ったから。
人によってそれぞれ生きていきたい世界は違って、必要な知はちがいます。
僕の生きていきたい世界の多くを捉えるには、物理・経済・金融・哲学が必要でした。だからいまでも学ぶ。
外を歩いていると外から入ってくる情報量に、ときどき怖くなる。視界や記憶からどんどん流れ込んでくる。頭のなかで対応しきれなくなるようなことがある。
だから知らないことを知る。知らないことが怖いから。
興味がないことはいいんです。
だけどそうじゃないことは、知っていたい。
知らないと不安だから。
知れば世界が変わる。世の中がおもしろくなる。
知ればすべてが新しく見える。
だから知るんです。
ラジオのような文章
ふと、「ラジオみたいなブログが書きたい」と思った。
そこで浮かんだのはイケダハヤトさん。レベルは違いすぎるんだけど、まさしくラジオを聞くように文章が読める。Voicyでたまに声をきくこともあるせいかもしれないけど、文章から話す雰囲気が伝わってくる。ときにはラジオと言うより目の前で話しているようだと思うことさえあるほど。
ツイッターでも書いたんですが、ラジオのように書くなら内容は日常的な話だと読みやすいなと思ったんです。他愛もない話ならそんなに身構えて読む必要もない。
でもそこでふと気づきました。僕のお世話になっている竹村俊助さんの書く記事はライティングや編集のノウハウもけっこうあるけど、それこそラジオのようにスラスラと読める。どうしてなのかと考えると、やはり平易な言葉をつかっていて、ひらがなと漢字のバランスやリズムが読みやすいように組まれているから。これだけじゃなくて、いま僕には思いつかないような読み手への見えない心配りは、たぶんもっとあると思う。
「そうだ、竹村さんがノウハウを書いているじゃないか」と気づいたと同時に、イケダハヤトさんもそういえばノウハウ記事はたくさん書かれていることに気づいた。遅い。
だから、内容じゃなくて「書き方」なんだと思いました。内容によって調子を変えるのはもちろん大切だと思うけど、それよりも書き方のほうがたいせつなんだと。
そもそも僕が「ラジオのように文章を書きたい」って言ったのは、ラジオのように気軽にサクサクと読めて、しかもまた読みたくなるような文章を書けるようになりたいなっていう思いが湧いたことから。
「です・ます」で書く、みたいな意味ではなく、どんあ語調だとしても、流れるようにスッと文章の内容が入ってきて、いつの間にか読み終わって、現実にふと戻るようなもの。
でも小説とは違って、完全にオフの状態でも読めるような文章。(みなさん小説とかってオフな状態、つまり構えずに読めるのかな。僕はしっかり時間を確保して、「準備万全。さあ読むぞ」って構えて読むんです。)
何気ない日常のちょっとした時間で「あ、あれ読もうかな」って、部屋に置いてある漫画に手を伸ばして寝転がって読んでもらえるようなイメージです。
こうして言語化してみると「ラジオみたいにとか言ってるけど、けっこう高度な話なのかも」って思えてきます...。
ここにある僕の文章も、そんなふうに読んでもらえたらいいなぁと思って書いています。読みやすいですか? どうでしょうか。もっといろいろためしてみよう。
--------------------------------------------------
ライター 金藤 良秀
不安だから僕は、書いていた
「書く」ということは、そこに伝えたい何かを秘めているんだ。ふと、そう思った。
書いて外に現すことで、何が出てくるかわからない。心に「秘宝」をしのばせてる感じ。
これを出すとみんながどんな感を抱くだろう。
あの人はどんな石を隠してるんだろう。
書いて見せることは、そういうワクワクとドキドキみたいなもの。
とはいえ書くことはむずかしいし、こわい。
できあがったあと、内側にあったものと形が変わってる気がする。なにか違う。
「あ、うまくできた」ということもある。
それでも「この程度のことしか考えていないのか」と人に思われてしまいそう。人から自分が見透かされそう。
これはきっとぼくだけじゃない。
みんなもそう。
ぼくもそうだ。
おもしろいことなんて言えない。思いつきもしない。
だけど書きたい。
うまくできない。
そう繰り返しているうちに、いやになる。
「どうして『書きたい』なんて思っていたんだろう」
そう思えてくる。
でも心のどこか片隅に「書きたい」思いはまだ残っていて、やりきれない気持ちを抱える。
.
僕が「書きたい」と思ったのは、小学校低学年のころに書き始めた日記からだったんじゃないかと思う。
日記には好きなことをかける。
でも僕にはそれ以上の書く理由があった。
忘れることが怖かったからだ。
その日という一日は、その日でおわり。過ぎてしまえば、なんの欠片も残らない。あとから思い出そうと思っても思い出せない。
そんな恐怖があった。だから書いて残したい。それが日記を書いていた、いちばんの理由だった。
うれしかったできごと、感謝の気持ち、楽しかった思い出、貴重な体験、なんでもない一日。
ちゃんと書いておかないと、すごく不安だった。
「あとで思い出そうとしても、忘れたらもうおしまいなんだ」
今では忘れることなんてたくさんある。忘れないことのほうがきっと少ない。それもわかってきた。
でも、幼い当時の僕にとって、せっかくある今日を忘れることは、なによりの恐怖。なにかを「失う」ようですごく怖かった。底知れない恐怖だった。
あの人と居られるのも今だけなんだ。
特定のだれかじゃない。
その日にあった人や話した人。
心に残したい大事な人たち。
いつかあの人が死んじゃったら、今日のことが消えてなくなっちゃう。今日のあの人のことを思い出せる人も知っている人もいなくなる。
この思いは、僕を書くほうへ動かした。
2時間も3時間も、時の流れやそのときの思考、動き、感情の起伏、しぐさ、やり取りも、こと細かく一生懸命に書いた。
書いておけば、あとからその日が写真のように、映像のように思い出せた。それが良かった。安心した。
「この日この場所であの人が僕にこう言ったんだ」
書いていたことを思い出すと、忘れたと思っていた記憶が脳内で鮮明に見え始める。映像やスライドのようによみがえる。
このとき「書いていてよかった」と思う。
僕にとって日記を書くことは、瞬間を忘れないように宝箱にしまっておくような作業。
当時の気持ちを忘れたくない。
そう思ったときに、ぼくは書いた。
.
最近、こんな気持ちをなくしていた。
昔はノートに紙で書いていたけど、いまはこんな形でブログに書いたりTwitterを使ったりして、「公開」する。
これは僕のひとつの挑戦だ。
公開するのはやっぱり怖さがある。不安になる。どう思われるかな、と。
だから公開する。
いいと思っているものを外に出してみる。
「これどうかな」
自分にはなかなか輝いて見える、内側にあったもの。置いておくと腐って溶けて消えてしまう。せっかく生まれたこの思い、記憶、今日のできごと。消えてほしくない。だから外に出す。
どうかな。
みんなが教えてくれる。
「うーん微妙」
また見せる。
「もうちょい」
いいもの見つけた。
これどうですか。
いいもの見つけたんだ。
これどうかな。
.
実はみんなそうなのかもしれない。
内側にあるものを形にしたくて、
形にしてつくってみるけど、
人に見せるのが怖くて、自分の押入れにしまってしまう。
でも見せないと生きた心地がしなくて不満で、
見せると不安でいっぱいになる。でも生きてる感じはする。
不安と羞恥心よりも、生きた心地のほうがずっと輝いてて、外に出したかったのは、実はつくったものじゃなくて、存在証明のほうだったりして。
できあがったそれじゃなくて、生きてましたっていうことだったりして。
「はじめまして。こういうものです。生きてます」って。